アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

名前には意味がない世界

 

最近、知らない人に

あまり懐かない子供の

ベビーシッターをする機会が増えた。

 

あの子と一緒にすごせるなら

うちの子も頼んでみようか?

そんな風に声が広がって。

 

どれだけ幼い子供でも

私は彼らの意思を尊重して

大人目線でコントロールしない。

 

だから「扱いにくい」子供達は

敏感に私の態度を感じとる。

 

もちろん大好きなお母さんと

離れる瞬間は泣いたりする。

 

でもあまりなだめない。

泣きたいなら泣けばいいから。

 

そのうちに

側にいるこの人は

自分を見守ってくれる

ということを全身で理解する。

 

一緒に遊ぶときは

私も思いきり楽しむ。

飽きたらやめる。

そこは同等。

 

子供が飽きても

私が飽きても同じ。

 

当然、危険な場所や

危ない物への配慮はする。

 

母親のひとりが娘に尋ねた。

名前覚えてないの?

私のことを「彼女」と言ったから。

 

知らない、と当然のごとく答える。

 

幼い子供や動物にとって

私達が個人識別に使っている

「名前」には意味がない。

 

彼らは肌感覚で感知するから。

 

どこの出身でどんな経歴があって

どれだけ収入があるか

どんな地位にいるか

そんなことは無意味だ。

 

ただし何も隠せない。

私達のエネルギーを

細やかに拾うから。

 

ベビーシッターをする度に

私は自分の精神状態の

確認ができるのだ。

 

幼いから

言葉を話さないから

と、侮ってはいけない。

 

彼らは語らない分だけ

自分自身をよく知っている。

 

名前が意味を持たない世界では

本来の姿を隠すことができない。


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Foto Yaegashi Luna