アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

テレビと新聞そして過去の経験と未来への不安

テレビと新聞は

私にとって

生活必需品ではない。

 

ひとり暮らしのときは

どちらもなかった。

 

このふたつに

絶対的信望を抱いている

私の両親とダンナ。

 

彼らは過去の経験や

他人の経験に基づき

未来への不安を語り

ストレスを溜めるという

重苦しいスパイラルによくはまる。

 

どこで誰が作ったかわからない

テレビや新聞のニュースの

数字やコトバに右往左往し

ため息をつく。

 

楽しくないならば

見なければいいのに。

 

自分の目の前で起こっていない

殺人事件や抗争に心を痛めて

「世の中の悪化」という幻に焦点をあて

嘆き悲しむ。

 

辛くなるなら

目を向けなければいいのに。

 

テレビと新聞から流れる情報は

すべて信用できると

信じ切っている人が多い。

 

そして

大勢が信じていることが真実だと

疑わない人が多い。

 

大勢いる場所が安全だと

そう思い込んでいる。

 

そこから出ても

オソロシイバケモノはいない。

そこから出ても

オソロシイバケモノになったりしない。

 

ときどき古新聞をもらう。

 

小物作りの材料

絵の具やノリの汚れ防止

天ぷらの油の吸収

こういう時には大活躍。

 

無駄な物も

無駄な経験もない。

 

何をどんな風に信じるか

何をどんな風に使うか

すべて自分次第。

 

たとえ家族であっても

他人の尺度は要らない。

 

 

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foto Yaegashi Luna