アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

「正しい人」の重い視線

「正しいこと」と「間違ったこと」

の白黒ははっきりしていて

それは誰にでもあてはまると

信じているダンナが

ナチス党の行動は「絶対悪」だと

熱く断言した。

 

それを聞いていた息子が言った。

「視点によるよ、パパ。」

 

息子曰く

ユダヤ人に手をかけたドイツ人達は

その行動を「すべきこと」だと信じていた、と。

 

たとえ全員ではなくとも。

そういう大きな流れがあった。

 

視点の違いがあったのだと

イタリア語の先生に教わったらしい。

 

すでに「中庸」な位置から

物事を眺めることを理解している息子を

大きな拍手で讃えた。

 

ふと10年以上前の光景を思い出した。

 

近所に違法なクスリを売って

生計を立てていた家族が住んでいた。

 

小さな男の子A君がいて

彼も近所の子供たちと一緒に

誕生日パーティーに参加していた。

 

男の子の母親が付き添いで

その場にいたのだが

「違法なことをしている」彼女を

にらみつける「正しい」母親達の

その視線の方が恐ろしかったことを

肌が覚えている。

 

「正しい」人が「間違った」人を

責める重苦しい視線。

 

少なくとも

誕生日パーティー会場で

我が子を見守る彼女は単なる母親で

それ以上でもそれ以下でもない。

 

むしろあの場で

空気を重くしていたのは

「正しい母親」達。

 

今A君とその家族がどこにいるのかは

全くわからない。

 

小さなA君とすれ違うたびに

チャオ、と挨拶しながら

自分で切り開く部分がたくさんある人生を

あえて選んできた勇敢な彼に

無言のエールを送っていた。

 

すべての勇気ある選択者に拍手喝采。

 

 

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foto Yaegashi Luna