アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

聖なる交流

性交流は聖なる交流。


どうして人間界では

嫌らしい・恥ずかしい・忌まわしい

そんな感覚を植え付けられるのか

ずっと不思議に思っていた。


私が性交流の聖なる感覚を

今の身体で意識したのは3歳頃。

もちろん言語や映像で

理解した訳ではない。


性行為によって新しい命を

子宮に宿す仕組みを知ったのも

もっと後のことだ。


表現することばがないような

圧倒的な大きさの光に繋がる道

そんな風に感じていた。


ずっと昔、人々が所有という概念を持ち

自分の勢力を拡大するため

女を繋ぎ止め子孫を産ませるために

婚姻制度を作った。


支配者は多くの人々を支配するために

宗教を利用し婚姻・戸籍制度を確立した。

管理しやすくなるし

税金も集めやすくなる。


聖なる行為の書き換えが

世界中で行われて浸透したのだ。

深く深く。そして広く。


聖なる儀式を経た男女のみ

性交流を許され

それ以外の関係は淫らなもの。


所有を安定させるため

そして支配しやすくするための制度を

これ程盲信していることに

ほとんどの人が気づいていない。


結婚しない人は人生の敗者。

片親、両親のいない子供は惨め。

同性愛者は病気。


その色眼鏡をいつの間にか

かけてしまって苦しむ人が

本当にたくさんいる。


心地よい性交流は

私達の本来のパワーを

心身に呼び戻す。


後付された制度や制限を越えて

自分で取り入れてしまった

外付けの概念を手放して

心から愛する人と

ぬくもりを伝えあうひとときを

なによりも大切にする。


そんな人間が増えれば

私達の地球はもっと素敵な星になる。

そう、私は信じている。



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Foto Yaegashi Luna