アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

身体の声を聴く

約1ヵ月半の入院生活を終えて

もうすぐお義母さんが退院する。


まだ膝の再手術まで

自由に動けないけれど

それでも病院のリズムでなく

彼女の好きなタイミングで

いろいろことができる。


普段、頑張り過ぎる彼女は

入院中、有り余るほどの時間を

ただ自分の身体の声に

耳を傾けることだけに使った。


西洋医学のシステムを

盲信している一家なので

与えられた大量の薬を服用している。


でもひとつだけ

身体が発するサインを受け取り

やめたことがある。


砂糖を飲み物に加えることを

入院中、完全にやめた。


おやつや食事のときに

食材として含まれる砂糖は

拒否していないけれど

コーヒーやお茶に砂糖を入れなくなった。


ひとつでも変化があったのは

彼女が砂糖の味に違和感を感じたから。

ささやかな身体の声を聴けたのは

ベッドの上で動けなかったから。


普段、せわしなく動いていると

聞こえないほど小さな声。


こんな風に私達は

聴くべき声を聞かされる状況を

呼び寄せている。

意識していても、いなくても。


微かなささやきを無視して

聞こえなかったふりをし続けると

心身の病として表にでる。


その症状を麻痺させて

良くなったかのように見せかけるのが

西洋医学の基本形。


発症の原因までたどり着かないように

上手に体裁を整えることで

医療業界は繁盛している。


そこから、私は抜け出した。

私の家族が信じて疑わない世界から

そっと外に出た。


食べるときも休むときも

身体の声をじっくり聴く。

いつもささやき声だけどよくしゃべる。


さて、もうすぐお昼ごはん。

食べたい?食べたくない?

質問すればきちんと答えてくれる

静かでおしゃべりな、私の器。



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Foto Yaegashi Luna