アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

ボーダーライン

境界線と適材適所。

今の人生で私がテーマにしているのは

この2つの着眼点。


天才と狂人、男と女、正解と誤り

自分と他人、仕事と趣味

常と非常、需要と供給


とにかく人間世界では

区分整理をして理解することが

大事だとされている。


確かに比較対象があると

そうでないものと区別しやすいし

目に見えない感情でも

共有できる名前がつくと

それだけで安心する。


すっきりと分類されていて

誰にでもわかりやすい状態だと

私達はほっとする生物だ。


問題児扱いされるのは

ボーダーラインにあるもの。

人・物・出来事・症状

どんなことも分類できないと人類は困る。

どう扱っていいからわからないから。


だからたいていは「ない」ことにするか

「あってはいけない」と定義する。


女性でも男性でもない人間が現れると

どちらかの区分に押し込めるか

化物扱いして排除しようとする。

ボーダーラインにいる人物は苦しむ。


名前がついていない感情や症状を抱くと

取り扱いに苦労する。

それがどんな名称で呼ばれているか

突き止めるだけで人間は半ば落ち着く。

同じ経験をしている仲間がいることに安堵する。


個人レベルでも社会レベルでも

ボーダーライン上の要素は

できることなら触らずに放置しておきたい。

これが人間の特徴。


これまでの観察と経験から私が感じていること。

それは、普段から境界線にある問題を

意識している人、団体、国は

想定外の対応にうろたえにくい。


国境がたくさん存在している大陸では

常日頃から単一民族だけではない問題が

多発しているが故に非常事態での

動きと実務的な対応が素早い。


日本にも外国人はたくさんいるけれど

陸続きの他国がない故に

移民・宗教・例外対策などに着目する機会が

圧倒的に少ないのだ。


だから非常事に国として決断して

実務を実行するスピードが遅い。

鍛えられていない人が速く走れないのと同じ。


では私達個人が未知の現状に於いて

どう行動すればいいのか。


自分の身の周りのボーダーラインを

しっかり意識すればいい。


自分ひとりでできること、できないこと。

生命を維持するために何が必要で何が不要か。

放置してもいい対象は何か。誰か。

誰を守るべきか。何を守るべきか。


自分の周りのボーダーラインを

きっちり認識すべきなのは

こういう未曾有の状態のときにやるべきこと。


他人の趣味や人生選択に

とやかく口を出すときに使うものではない。


観察者の目で私は現状を眺める。

言いたいことは言う。

放置すべきと判断したら関与しない。

見ないふりではない。

しっかり見据えて決断する。


適材適所に関しては

以前このブログで書いたので

興味のある人は探してください。

後ほどパソコンで編集できるときに

リンクを貼ります。


f:id:yluna:20200423175005j:plain

Foto Yaegashi Luna