アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

フロイト・ユングの「これまで」とアドラーの「これから」

アメリカのヒプノセラピストが

前世療法に関する本を出版し

日本のテレビ番組でも

体験レポートなどを放映することで

前世または生まれ変わりという概念が

それほどおかしなもの扱いされなくなった。


「目に見える物しか信じられない」

そういう生き方にメスを入れる段階として

物質世界に浸っている人間には必要な情報だった。


生まれ変わりの概念と並行して

江原啓之さんなどの霊能者達が浸透させた

守護霊やオーラの世界観。


それもまた現代人がステップアップするには

必須な階段だったと思う。


でもそれは心理学で言えば

フロイト・ユングの

「現在の状況は過去に原因がある」

という考え方と同じ。


過去世のカルマを解消するために苦労する。

幼い頃のトラウマがあるからブレーキがかかる。


確かにその解釈はもっともらしくみえるし

潜在意識に隠れた過去の傷を

意識上に引きずり出すことで

気持ちが晴れるきっかけにもなる。


でも私達が求めてやまない答えは

いつも「これから」のこと。


日本にアドラー心理学が広まったことで

ようやく次のステップに進む考え方を

オカルトでもスピリチュアルでもない界隈の

言語で語ることができるようになった。


心理学者のアドラーが提唱していることと

宇宙人または高次的存在と呼ばれる

バシャール・エイブラハムなどが言っている

「今、この瞬間にフォーカスすること」

でしか未来は変わらない

という概念は全く同質のメッセージ。


今だに地球以外の星に生命体がいる・いないの

議論をしている人達が存在すること自体が

とても不思議なのだけれど

そこを深く掘り下げると

話の焦点がズレるので割愛する。


私達人類の肉体を基準にすると

時間の流れと言うものが

揺るぎない尺度にみえるし

確実に過去の記憶も記録もあるのだから

絶対的な概念のように感じられる。


確かにこの地球上で人間として

生きている限りは逃れにくい考え方ではある。


でも「これから」を変えたいのなら

過去にばかり焦点をあてていても

なにも変わらないことは

誰だって体感として理解できるはず。


もうコロナウイルスが世界を闊歩していない

過去には戻れないことを自覚すべき時。


あの頃は良かったと嘆くだけの行為は

別れた彼や彼女との美しい思い出に

浸りまくって古いアルバムを眺めて

ため息をついている状態と同じ。


自宅待機しながらそうやって泣くのも

自分自身の選択だからかまわないけれど。


でも「これから」を構築したいのなら

まずは「今、この瞬間」に焦点をあてるべき。


食べる物はある?

眠れる場所はある?

話相手はいる?

体調はいい?


まずはそこからしか何も動かない。


細菌研究に携わる人間でなければ

どうしてコロナウイルスが発生して

何が原因でパンデミックを引き起こしたかを

深く追求する義務もない。


それはフロイト・ユング系の各専門家が

やることであって私達一般人の課題ではない。


アドラー系の各分野の専門家は

「今、どんな状況か」

「これからどうありたいか」

という視野を持って活動している。


それぞれに担う役割がみんなある。


個人の生活でもフロイト・ユング系の

「これまで」を重視したいならば

それも自分自身の選択肢のひとつ。

けして「環境に左右されたもの」ではない。

そこを自覚しないと先には進めない。


アドラー系の「これから」どうありたいか

という視点を持つか持たないか

それは各自が決めること。


私達はいつでもどんな状況であっても

自由に選択することができる。

そこから全て始まる。



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Foto Yaegashi Luna