アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

仮想の敵とフェイクエネルギー増幅

イタリアでは閉鎖が一部解除となり

月曜日から職場に通っている。


自宅待機期間中

同じ職場グループメンバーに

不買運動のメッセージがまわってきた。


EU諸国内で資金分配の不平等があるから

フランス・ドイツ・オーストリアに

本社のある製品を買わないことで

不平等を均衡させる動きにつなげよう

という主旨のメールだった。


すぐに数人賛同していたが

私は「不買運動に参加しない」と

意思表明をして理由を書いた。


フランス・ドイツ・オーストリアに

仲のいい友達もいるし

近隣諸国の生産物を買わなければ

均衡が保たれる訳ではない。

イタリアでは作られていない

素晴らしい製品も作っている。

だから今までどおり良い物は買います

と宣言をして賛同しなかった。


コロナ騒動から派生した不買運動。

これは「少し裕福な家族を妬んで

近所づきあいに入れさせない」という

行為とほぼ同類の行いだと思う。


人はすぐに解決できない状況に陥ると

仮想の敵をつくりたがる。

少なくとも怒りやストレスを

発散できる相手がいれば

もんもんとわからない感覚を

吐き出すことができるから。

自分が何かをやってるという充実感も

リアルに感じることができるから。


スーパーの店員さんにやつあたりするのも

医療従事者を差別するのも

構造としてはかなり近い。


コロナウイルスは姿がみえないし

これからの生活がどうなるかわからないし

やりたいことも自由にできない。


だから姿の見える誰かや何かに

鬱憤をぶつけたくなるのだ。


同じようなストレス発散方法に

活路を見出した人々は群れる。

そして仲間を見つけたことで

さらに動きは加速する。


本当は何に怯えて何が怖いのか。


そこに向き合う勇気もないし

似たような人がいるなら

きっと間違った行為ではない!と

思い込んでしまうのだ。

こうしてズレたフェイクエネルギーが

勝手に増幅して暴走する。


怖がりの犬は本当によく吠える。

自分のテリトリーが侵されて

身の安全が守られない!と吠えまくる。


実際は新しくて美味しい餌を

はるばる持って来てくれたのかもしれないのに。


職場で一緒に仕事をしてるメンバーの中に

不買運動の提案者と賛同者がいるのだけれど

それが誰であるのか私は覚えていない。


イタリア人のいいところは

そういうやりとりがあったとしても

それはそれ、これはこれで

仕事中に嫌がらせをするような

ねちっこさはない。


仮想の敵がみつからないと

自分自身に刃を向ける人もいる。

どうか気付いて欲しい。

どこにも敵はいない。


コロナウイルスでさえも敵ではない。

彼らは「みえないもの」と共存すべき

これからの時代の宣教師的な役割りを

担っている貴重な存在だと、私は思う。



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Foto Yaegashi Luna