アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

極悪非道な人物の名はDio

友人の息子が日本のアニメにハマっている。

今家族揃って見ているのは

荒木飛呂彦さん原作「ジョジョの奇妙な冒険」。


イタリアで日本のアニメが放映されるとき

たいてい登場人物の名前を変える。


このアニメの場合には

リゾットなど食べ物の名前が

たくさん使われているらしい。


イタリアのマフィアグループには

Passione(情熱)という名がつけられていて

いちばん極悪非道な人物はDio(神)だという。


情熱を傾けさせてはまった世界から

なかなか抜け出せないマフィアのような仕組みは

世の中の至るところにあるし

神の視点や境地はある意味非情。


当たらずとも遠からず。

そんな命名だなと感じた。


情にほだされたり流されたりするのも

感情をみだすのも同情するのも

すべて人間だから起こる。


私達が自分自身と向き合ったときに

ちらりと垣間見える神は非情。

「かわいそうだね」

「頑張ったねお疲れ様」

なんて言う言葉はかけてくれない。


ただ静かに存在しているだけ。

表情があるとしたら

きっと能面のように

どんな顔にもみえるだろう。


神様はどこかにいて助けてくれると

信じている限りその本来の姿を

感じとることはできない。


時々「私が神だ」と言う人物が現れる。

自分の外側に神を求める人がいるから

そういう人が現れる。


傍からみているとどうしてそんな人物を

盲信してしまうんだろう?と不思議に思う。

そこに同感する人はたくさんいる。


同じ原理に見えるけれど

「お金さえあれば幸せになれる」

「お金がないと生きていけない」

そう盲信している姿を見ても

「あたりまえ」だと思っている人が多い。

それが本当に不可解。


お金を楽に生み出す仕組みを

長い時間かけて一生懸命作り出し

「いつか楽になりたい」と必死になっている。


そんな行為自体をゲームのように

楽しんでいるなら構わない。


大型の豪華客船を作りあげて

いつの日か自動操縦に切り換えるよりも

小型高速ボートを運転するのが私は好き。


こまわりがきいて舵もすぐきれる。

エンジンを止めて寄港する場所も

すぐに見つかるだろうし。

メンテナンスも丁寧にできる。


いずれにしても選択の自由。

他人がとやかく言うことではない。


人生は旅。

その行程を楽しめばいい。

非情な神はいつも静かに微笑んでいる。


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Foto Yaegashi Luna