母の家系を遡ると修験道場の血筋。
山伏と呼ばれる人達が暮らした場所で
母と家族達が生活していた。
神道と仏教の分離令が出される前の
融合された造りの家は珍しい。
最盛期には城を2つ所有するほどの
繁栄ぶりだったそうだが後に没落。
改築もできずに古い家がそのまま残っていて
平成14年まで親戚が暮らしていた。
歴史を物語る貴重な家であることから
現在は国の指定文化財になっている。
家の裏には神社があり
そこに祀られているのは「道の神様」。
このことをつい最近知った。
幼い頃から何度も足を運んだ
藁葺き屋根の大好きな家なのだけれど
歴史的な経緯を積極的に理解しようと
思ったことはなかった。
「みち」という響きから未知も連想する。
身と血も思い浮かぶ。
人生そのものの神様だな、と感じる。
「未知なる道を身と血をもって生きる」
自分の生き方にしっくりくる。
苦しいときの神頼み、ということばは
結局、自分自身を100%信頼することだと
私は解釈している。
世界中で何世代にも渡って繰り返される言葉。
神は外側にいない。
自分の内側にだけ内在する。
心がざわついたとき
頭がいっぱいのとき
どこかに答えを求めて彷徨っても
絶対にみつからない。
いちばん近くにあることに気付くだけだから。
それは一瞬でたどり着くパラダイス。
魑魅魍魎(ちみもうりょう)のようにみえた世界の
最初の2つの音をひっくり返せば「みち」。
物事が複雑そうにみえたら
くるっとひっくり返してみると
単純な仕組みがわかることがある。
ごちゃごちゃしてるモノの出発地点には
いったい何があったのか。
解決策がみえない状況の先にたどり着きたい
目的地はどこなのか。
未知なることに挑むときに必要なのは
この単純化した構造理解。
そしてタイミングを逃さずに行動すること。
道は続く。未知なる方向へ。
私は身と血をそこに捧げて生きる。
Foto Yaegashi Luna