アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

億単位の競争に勝ってもまだ戦う人々

肉体を持って生まれる。

その時点で誰もが

億単位のレースの優勝者。

それなのに満たされないシナリオを

勝手に作ってもがくことが

本当に不思議でおもしろい。


精子の頃の記憶がないから

自分が激戦をくぐり抜け

トップで卵子に飛び込んだ実感がない。

ものすごい競争率のレースの

勝利者という自覚がない。


さらに肉体が子宮の中で

徐々に形成されても

全員が生存して生まれ育つ訳でもない。


どんな親や環境でも

もし今生きているならば

誰かや何かに守られてきたはず。

例外はない。


親と価値観は違っても

産んでくれたこと

育ててくれたことに

素直に感謝している。


だからと言って

彼らの理想の娘を演じない。

家族であっても親でも

別の身体をもったひとりの人間。


信じる概念が違ったり

好みの相違があってあたりまえ。

お互いになにかを押し付けたり

相手をコントロールしようとしない

尊重し合う関係が健全。


学校や社会で繰り広げられる

ありとあらゆる競争ゲームに

参加しないとダメなのかな?と

試してみたこともあったけれど

やっぱり性に合わない。


もちろんスポーツやコンクールで

優勝したり表彰されれば

嬉しかったことは体感している。

思い起こせばすんなり勝ったときは

いつでも対戦相手を意識しなかった。

どれだけ自分自身でいられるか。

それが結果として形になった。


いわゆる成功体験は

幼い頃からたくさんしてきたので

自己肯定感はもともとあった。

でもキリがない競争社会のレールに乗って

戦い続ける気は起きなかった。


自分に似合わない服にむりやり

身体を押し込むような生き方はやめた。

着心地のよい服でくつろぐような

人生を選択すると決めた。


だから苦手なことや嫌なことは

それが得意な人にお願いする。

苦労せずにさらっとできることは

好奇心に任せてどんどんやってみる。


人生は道順もペースも選べる長距離走。

走らないで歩いたって構わないし

休憩地点が気に入ったらそこに居てもいい。

飛べるなら飛んでもいい。

踊ったり歌ったり演奏しながらもいいね。

道端に彫刻を置いて歩くのも一興。

全力疾走したっていい。


無限に広がる可能性を感じて

好きなように生きる人間が

ひとりでも増えますように。


リニューアルオープンした店で

朝ごはんを食べながらつれづれと

言葉を重ねました。

みなさん素敵1日をお過ごしください。



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Foto Yaegashi Luna