アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

テツガクとコウドウ

最近「ソフィーの世界」という本を

寝入り前に読んでいる。

哲学の流れを追いながら

14歳の女の子があれこれ学ぶ

ミステリー小説仕立ての作品。


もし「人間の存在意義」や

「普遍的な物事の真実」の追求を

哲学と定義するならば

私は生粋の哲学者。


ピアノやバイオリンを

3歳頃から奏で始めた人間は

まるで自分の身体の一部かのように

軽やかに楽器を演奏できる。


物心ついた頃からずっと

ヒトという生命体の動向を観察しながら

どうして私達はこの場にいるのか

そこに人種や世代を越えた普遍的な

なにかがあるのかを探求していたので

もはや哲学は私の肉体の一部。


どこそこ大学の誰々教授のもとで

かの有名な某哲学者の研究をうん十年間

一心不乱にやってきました

という訳ではない。


行動を伴わない空論が好きではないから。

卓上であれこれ推測したり

分析する作業は時には必要だけれど

実際に体験するという経験は

なによりも貴重な宝物だから。


「哲学」と「行動」という言葉を

いったんカタカタにして連想ゲームをする。

「鉄額」と「光道」「公道」「幸道」

「坑道」「香道」「空道」「講堂」。

コウドウはたくさん書き換えできる。


つまりは鉄製の額のように頑丈で

しっかりした基本枠を心に据えて

沢山のやり方で動いてみることが

私にはしっくり来る方法。


今朝の哲学的思考整理は終了。

行動開始します。

素敵な週末をお過ごしください。



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Foto Yaegashi Luna