コペルニクスやガリレオが
地動説を唱えたとき
世の中のほとんどの人々が
その説を信じなかった。
国や社会秩序の基盤を覆す説は
混乱を発生せさせるから
真実がどうであるかよりも
世の中が蜂の巣をつついたような
騒ぎにならない方がよかった。
やがて天動説は神話の世界に姿を変え
地動説が常識の世界を私達は生きている。
次にメスが入るのは
おそらくダーウィンの進化論。
すでに一石を投じる説は
世間に出回っている。
地球外生命体が人類を造ったという説。
この説を受け入れるには
まず地球という惑星の他にも
高度な文明を持った生命体が実在し
ずっと昔から地球を訪問しているという
根底信念が必要になる。
私達が「最先端」と呼ぶ技術が
すでに旧式になっている知的生命体が
それこそ星の数ほどいるという
人類全体の劣等感を引きずりだす考えを
認めることになってしまう。
単純な可能性で言えば
地球にしか生命体が存在しないという説が
おかしいだろうと推測できる。
現代地球人は目に見えるものや
繰り返し検証できること
そして多数が信じていることを
真実だと思いこんでいる。
太陽や星が動いているように見えるから
天動説を信じていた人類を
「真実を知らない時代の人々」
と呼ぶ行為がそのまま
自分にあてはまる可能性はあると
思っている方がいい。
もし地球人より優れた技術を
すでに使いこなしている生命体から
その知恵を教えてもらえるなら
ありがたく活用した方が暮らしやすくなる。
ただし魔法のように全ての課題が
まとめて一気に解決する訳ではない。
楽団を想定してみる。
小・中学校、高校、大学、地域サークル
そしてプロのオーケストラ。
それぞれの成長段階や環境に合った
演奏を集団で行っている。
メンバーひとりのひとりの
いのちの大切さを比較したら同等。
ただ演奏技術や楽器の精度の違いがある。
楽器を手にして数カ月の人が
フィルハーモニーオーケストラに参加したら
楽曲自体についていけない。
逆に世界的なプロの演奏家が
学校のクラブ活動に参加したら
合わせることはできるだろうけれど
技術の差があり過ぎて浮いてしまう。
これと同じような現象が
発達段階の違う生命体との交流で起こる。
けして存在自体の優劣はない。
単に楽器と技術力の差があるだけ。
ダーウィンの進化論は大衆を
教会や宗教の権威の支配から開放した。
でも人類が最も高等動物だという
妄想も拡大させた。
人間がこの地球上でいちばん偉いと
勘違いしている考え方を手放す時期が
もうやってきている。
まずはそこから。
人類がピラミッドの頂点に君臨して
全てを支配しているという思い込みから
目を覚ますタイミングの時代。
さもなければ
自分は井の中の蛙だったことに
気づいたときに愕然とする。
私はダーウィンの進化論を全否定しない。
確かに環境に適応する特徴を持った
種が生き残り姿形を変えて
今に至ると思っている。
人類が宇宙人による遺伝子操作技術によって
生まれた可能性も否定しない。
充分にありえることだから。
その追求に生涯を捧げる気はない。
私にとって大事なことはひとつだけ。
今の時代に適応した身体に入っているのなら
それを存分に活用するということ。
それが私のやりたいこと。
Foto Yaegashi Luna