アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

親の放つことば

毒親のもとで育った人が
書いたブログ記事を読んだ。
ひどいコトバを浴びながら育つと
植物だって枯れる。

幼い子どもは生きていくために
肉体としての生命をつなぐために
例え望まない環境だとしても
そこに収まるやり方を探る。

私の両親は毒親ではない。
真面目に働き真面目に生きている。
世の中の常識に沿って
世間様にご迷惑をかけないように。

できる範囲でやりたいことをする。
なるべく浪費をせずに
いざというときに備える。
そういう生き方をしている。

進路や就職・結婚・離婚
人生の節目の決断は事後報告。
彼らの意見や気持ちは表現するけれど
いつもサポートしてくれる。

文句のつけようがない。
そんな両親が放つことば。
彼らの信条や信念がそこにはある。
それがすべて娘である私に
あてはまるとは限らない。

そのズレがみえない障害物に
なっていたりする。
さほど気にならないことばで
反発も同意もしなかったから
とてもわかりにくい異物。

例えば母はこんなことを言っていた。

「グレても非行に走ってもいいから
 どうせやるなら1番になりなさい」

ふうん、そんな風に考えてるのか。
と聞き流していたつもりだった。
ところが。
さっき気がついた。

絵・文章・スポーツ・音楽・料理
どの分野に関わっても
苦手意識を抱いたことがないけれど
いつもどこかでその世界の
トップレベルの技術と比べていた。

「本格的に取り組むなら
 1番にならないと意味がない」

そんな思考がちいさな埃のように
私のなかにひっそり存在していた。
なるほどね。

だから絵を描くときに
比較してしまう相手は世界の巨匠。
あそこまで描けないなら描かない。

スポーツをするときに
比べるのはオリンピック選手。
あの領域に行けないならやらない。

ことばの影響力はすごい。
母が言ったセリフが
こんなに長いこと無意識領域で
私のなかに存在していたとは。

だからといって母を責めたりしない。
あのセリフは彼女の考え方。
無意識とはいえ取り込んだのは私。
自分のなかの負けず嫌いの部分と
共鳴して今日まで潜んでいた。

必要のない思考は
いつの間にか溜まった埃。
気づいたらさっと拭き取る。

描く・書く・作る
身体を動かす・奏でる
どれもこれも楽しみたいから楽しむ。
意識も無意識も塗り替える。

小鳥の声しか聞こえない静かな朝。
久しぶりに買ったシリアルを
カラス麦のミルクでいただきます。

素敵な日曜日を。

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Foto Yaegashi Luna