アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

朽ち果てた後に残るものは種

起きがけに降りてきた
今朝のフレーズはこれ。
個人・家族・社会・国・天体
どの規模でも必ず変化は訪れる。

何かが朽ち果てて
残るものは種となり
次の世代へ
次の次元へと
つながりながら成長する。

時間という概念を
共有している人類は
永遠に残るものを
求めてきた。

肉体は衰える。
物は朽ち果てる。
安定は安心をもたらす。
だからできるならば
いちばん好ましい
その瞬間で時を止めたい。

そんな矛盾した
願望を抱きながら
安定した衣食住環境を
追い求めて今にいたる。

時代の変換期。
朽ち果てるものは
必然として消えていく。
残るものは必然として
その姿や形を変えて残る。

がらんどうの廃墟や
人のいない空港。
灯りの消えた町並み。
車の走っていない道路。

映画のシーンのような
光景をまのあたりにして
なにを感じたか。
それがこれからの
行く先を決める指針。

ある人は嘆き悲しみ
とある人は高揚する。
寡黙と平穏を生きる人もいる。

私のこれまでの人生で
残った種を集めて
植える期間が過ぎた。
これからは見守る時期。

土が湿り過ぎず
乾きすぎないように
芽がのびのび育つことの
できる環境のために
できることをしながら。

具体的でリアルな事柄で
表現するならば

「引っ越しをして
 荷物を整理し
 ひとり暮らしの収支や
 リズムが整ってきたので
 さらに行動の自由度を
 あげていく」

という感じ。

20年暮らした場所から
移動するときに
手放すものはたくさんあった。

「どうしても」というよりも
むしろ「なぜか」手放せない
物や信念はこれからの種。

霧の朝ソファで
白湯を飲みながら
これを書いています。
みなさん素敵な週末を。

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Foto Yaegashi Luna