アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

ヴェネツィアガラスのペンと自由度上昇

初めてイタリアに来たとき
ヴェネツィア産の
ガラスペンを買った。

繊細な使い心地。
紙をなぞる音。
ひやりと触れる感触。
ひとめぼれして
今も手元にある。

ヴェネツィアは3度訪問した。
観光都市と呼ばれる場所は
あまり好きではないけれど
何度訪れてもいいな、と感じる。

街中を車が走っていない。
立地条件のおかげで
近・現代的なビルがない。
ガラス製品が好き。
魚介料理が美味しい。
周辺の島々が魅力的。

好きな理由はこんなところ。

さて。
昨日「世界一周」情報の
YouTube動画を見た。

「自由になる」
「経済・社会的制限なしで
 あちこち動きまわる」

このふたつを
同義に捉える人が多い。

実際に肉体を
好きな場所に運んで
やりたいことだけをする。
それが自由の本質。
そう認識しているからだろう。

半世紀かけてワタシが
身につけた技術は

「どこでなにをしていても
 誰がいてもいなくても
 何があってもなくても
『自らに由る』生き方」

周りの環境や人間関係は
確かに大切な要素。
だけど根本的な軸は
自分の内側にしかない。

午前中は針仕事へ通い
午後はやりたいことをする。
今はそうしたいから
やっているだけ。

もし世界中を飛び周りたいなら
動きにくい感じがある今でも
できない訳ではない。
やっている人はいるし
方法はいくらでもある。
願いは叶えられる。

ただしその願いは

「ほかの誰かが
 描いたものではない」

ということが必須条件。

現在とても満たされた
ありがたい日々を
満喫しているけれど
ずっとこれからも
同じ生き方をするつもりはない。

変化はあたりまえ。
どうせならば
現実的な自由度を
もっとあげていく。

例えば私にとっては

「新しいガラスペンを
 ヴェネツィアに買いに行こう」

そう思ったら実際に
現地に買いに行く。
それが自由度のあがった状態。

時間的な縛りがさらに
緩やかになる暮らし。

同じ場所に毎日通って
働くこととは物理的に
同時進行できない。
だから働き方を変える。
その基盤を今作っている。

午前中の針仕事のせいで
自由に動けないのではない。
仲間と一緒に手作業することが
楽しくて簡単に稼げるから
自分で決めてやっている。

ガラスペンだけが欲しいなら
ネット上で注文すれば
あっという間に簡単に
手元にやってくる。

どうしても現地へ
行きたいのならば行ける。
だけど行かない。
その選択は今すぐ
やりたいことではない。

針仕事へ行ってきます。
素敵な1日をお過ごしください。

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Foto Yaegashi Luna