アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

「いつもの」と言えるありがたさ

ここ数年でこれを
実感した人は多いだろう。

いつもの店のいつものメニュー。
いつもの場所のいつもの景色。

あたりまえだった日常が
ガラリと変わるときに
ヒトはやっと

「いつもの」

ありがたさがわかる。

ホントは毎瞬が
絶妙な奇跡の上に
成り立っていることに
普段はあまり気づかない。

最近の習慣は
職場近くの店で
エスプレッソコーヒーを
飲みながらの読書。

少し早めに家を出て
30分くらい本を読む。

音楽が流れているし
人の出入りもかなりある店。
その一角で本の世界に没頭する。

騒がしい世間の雑音の
渦中でも集中できる
フォーカス能力も鍛えられる。

とても可愛らしい女の子が
いつもの?と視線を向けて微笑む。
Sì grazieと答える。

お気に入りの女の子は
手際も良くて賢い。

前の客が残した食べかすを
サッと拭き取って
新しい客へのカップとソーサーを
準備する手さばきが素早い。

客商売ではあたりまえのこと。
だけどすべての人が
手際良くできるとは限らない。

過度に化粧をした女性が
コーヒーを淹れてくれる朝は
カウンターに食べかすが
たくさん残っている。

彼女は自分のことで
きっと手一杯なんだろう。

それぞれの人間に
それぞれの性質がある。

だから手際のおぼつかない
女性が「悪い」訳ではない。
彼女はいわば成長の途中。

赤ちゃんの仕草がぎこちないのと
ホントは変わりない。
でも身体が大人だと
手際の良さを期待してしまう。

接客の動きがしなやかな
他の人達の行動がすべて
「いつもの」奇跡の上に
成り立っていることに
ぎこちない対応を受けたときに
改めて気づいて
ありがたさを再認識する。

さて、いつものように
白湯を飲んでストレッチをして
針仕事へ行ってきます。

素敵な1日をお過ごしください。


Foto Yaegashi Luna