アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

わかれ道が見えたときに決めたこと

この先この家でこの人と
ずっと暮らすことはないと
別れの気配が視えたとき
決めたことがある。

避けられないだろう別れを
「悲劇に仕立て上げない」
と静かに決心した。

どうやってやるかなんて
全く見当がつかなかった。
お手本になるような人は
まわりにいなかった。

間にいる子供達や
家族・親戚とのつながりが
濃厚であればあるほど
別れがちらつくときの
ハードルが高く感じられる。

どうやったらたどり着くか
全くわからなかったけれど
とにかく先に決めた。
悲劇にだけはするまい、と。

当時できることと言えば
その理想的な状態を
リアルに想像することだけ。

何もかもが落ち着いて
みんながそれぞれ
笑って暮らしている姿を
ありありと想像してみた。

細かい状況や設定は
想像できなかった。

だから笑顔を思い浮かべた。
ほんとうに笑っている
表情の細部を思い描く。

これが現実創造の鍵。

それからひとつずつ
現実的にある課題を
クリアしていく。

精神状態を中庸に
保つように心がけていた。

私の変化に触発されて
「今までと同じ言動」を
期待していた彼は
荒れたり落ち着いたりを
繰り返していた。

変わってしまった相手に
もとに戻れ!と訴え続けていた。

眼の前で笑ったり怒鳴ったり
荒波みたいな感情をぶつける
元ダンナのヘドロを洗い流す日々は
ひとりの人間としての修行の中でも
結構レベルの高いものだった。

ふう、と深呼吸してから
日常生活をこなす。
処理しきれない感情は
紙のノートに書き出した。

幸いにも日本語は誰も読めない。
それほど丁寧に隠さなくても
全く問題はなかった。

すべて落ち着いたら何をする?
と自問自答を繰り返して
日々のあれこれをこなしていた。

「食事を作り掃除をして
 快適な環境を整えて
 好きなことをする」

これが答えだったのでやった。
淡々と。こつこつと。
周りが動かないときに
焦っても何も変わらない。

別れの気配が視えてから1年
離婚話が出てから数ヶ月
穏やか過ぎる私の態度が癪に障り
元ダンナが激しくキレた後
程なく今の家が見つかった。

彼が怒鳴るその裏の悲しみや不安
やるせなさがわかる。
わかってしまうのだ。
だから20年サポートしてきた。

残念ながら彼の側では
私は女になれなかったし
弱音を吐くことができなかった。

母親という役割を
体験する機会をくれたことには
心底感謝している。

別れの気配から1年半後には
それぞれの場所で穏やかに
暮らすことができた。

子供がいる夫婦の
人間技にしてはなかなかの
ハイスピードかもしれない。

新しい暮らしに慣れるには
それぞれのペースがある。
なんだかんだと落ち着くまで
創作活動には身が入らなかった。

それもまた一興。

すごろくの「一回休み」
みたいな時期ならではの体験は
実は結構ありがたい。
新しい流れが始まると
集中しにくいことができる。

ウイルス騒動もちょうど
いろいろなデトックスになった。
個人的にも社会的にも。
新しいサイクルが本格的に
始まる感覚がある。

朝晩の冷え込みが日に日に
濃度を増してきました。

素敵な冬になりますように。


Foto Yaegashi Luna