アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

先輩後輩関係の不思議構造は世界共通ではない

先輩・後輩という関係が不可解なほど

日本社会には浸透している。

実際にその体験をして育ったから

構造の理不尽さがよくわかる。


小学校では〇〇ちゃんと呼びあって

遊んでいた近所の女の子を

中学生になったら〇〇先輩と呼ばないと

その本人ではなく周りから怒られる。


奇妙な仕組みだなと思いながらも

その暗黙の絶対的なルールを

半分楽しみなから学生生活を過ごした。


大学には外国人学生や教授、帰国子女が多く

9月入学制度もあったおかげで

日本独特の先輩後輩関係からは開放された。

多少の丁寧語を使うことはあっても

敬語を使わないと怒られるという不思議な関係を

強要されることはなかった。


先日芸能界での挨拶や言葉遣いについて

話をしている芸人の動画を聞いた。

後輩なのにタメグチなんて信じられない!

ムカつく!気を使え!いい場所や席を空けとけ!


うわあ、こんなことを堂々と公言するんだと

住む世界の違いを感じながら

昔の体験を思い出していた。


イタリアでは丁寧語を接客などで使うことはある。

でも基本的によく知っている間柄なら

年齢差に関係なく同じ言葉遣いをする。


今、働いている職場でももちろんタメグチ。

経営者・年上の人・職歴の長い人

誰かれ関係なく同じように挨拶する。

質問やお礼の言葉遣いも全員同じ。


外部からの来客があれば多少ぴしりと

背筋を伸ばす空気は漂うけれども

彼らとも特別な丁寧語を駆使することはない。


相手を敬うのは大切なこと。

でもその基準をたった1年早く生まれたから、

肩書があるから、芸歴が長いから、と

外付けにすると形式だけが空回りする。


年功序列制度が濃く浸透した国で育ち

フランクな関係があたりまえの国で暮らしている。

先輩後輩関係の不思議さを客観的に眺めて思う。


誰かを敬う、という尊い行いが

形式主義のためにズレてしまっているな、と。


まずは自分自身をきちんと敬い

自分を大切にするように相手に敬意を払う。

これが世界どこでも通用する行動だと

私は思うので実行している。

イタリアでも。日本でも。



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Foto Yaegashi Luna