アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

孔雀と薔薇と鬼百合そして虹

最近やたらと縁のあるのがこれら。

いずれもどちらかと言えば

あまり好きではない生命体達だった。

好んで写真を撮りたいと思うのは

つい最近まで虹だけ。


オスの孔雀の尾羽は美しいけれども

瞳がたくさんついているような模様が

幼い頃から苦手だった。


育った家の玄関先にあった

薔薇の棘は本当に痛いし

重そうに咲く感じが嫌いだった。


母が持っていた誕生花辞典に載っていた

私の誕生花は鬼百合。

白い百合は大好きなのに

オレンジに黒い斑点の色彩も

くるんとしたカーブの線も

あまり好きではなくてがっかりした。


ところが最近私の反応が変わった。


白い孔雀に惚れ込んで

カリグラフィーに取り入れた頃から

孔雀自体に嫌悪感が湧かなくなった。

らくがきテクニックのdoodleでは

好んで薔薇を描いているし

鬼百合という名前も好きではなかったのに

自分の中の鬼のような性質を

まるごと受け入れた頃から

鬼百合という花も美しいと感じる。


ほんとうに人の好みは変わる。

食の好みが変遷することは

毎日のことなので気づきやすいけれども

漠然としたなんとなく嫌だというものに

心のブロックの鍵があると思う。


見て見て!私を見て!

孔雀の尾羽の広げ方はそんな自己主張に

通じるような気がして苦手だった。

今は誰からの視線を浴びようが

堂々としている姿に見える。


薔薇とかすみ草の花束をもらうと

どちらかといえばかすみ草の方が

ほっとする感じだったのは

やはり自己主張が強い薔薇に苦手意識を

強く感じていたからなのだろう。

言うべきときに自分の意見を言う

強さを身につけてからは

薔薇の華やかさが鼻につかなくなった。


以前は自分のなかにいる鬼を

どう扱っていいのかわからずに

持て余していたから「鬼」という言葉を

耳に入れたくなかった。

見たくもなかった。

牙を剥く獰猛な動物たちが

自分のなかにいることを認めたくなかった。


ただただありのままの私を

俯瞰できるようになったから

好き嫌いの尺度が変わった。


ありのまま自分を隠さない。

必要以上の自己主張はしないけれど

不要な我慢もしない。


そうやって生きていると

目の前によく虹や虹色のなにかが

現れて「よきかな」と伝えてくれる。


自分がなんとなく苦手意識を持ってるもの。

そこに注目するとなにかの鍵を

みつけることができるかもしれません。


素敵な週末をお過ごしください。


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Foto Yaegashi Luna