今読んでいる小説に
男女の交わりをsin(罪)と
表現している一文が登場した。
愛する人と肌を重ねて
エネルギーを融合する
素敵な行為を罪と名付けて
罪悪感を植えつけたのは
イエス・キリストではない。
後の人間達が
「我らが権力をもっと強大に!」
というくだらない願望のために
核心をずらしてごたごたと
余計な教義をくっつけた。
そのカケラは現代もなお
「成功」を促す神話として
継承されている。
何喰わぬ顔をして。
正義の仮面を被って。
儲けた者が勝ち組。
経営者や投資家になれば安泰。
労働者階級は負け組。
時間を自由に使えない人間は家畜同様。
話をsinに戻す。
敬虔なキリスト教信者たちは
尊い交わりを罪だと刷り込まれる。
あたりまえで自然なことを
張りぼてのように
飾り祀った「教え」で
抑え込んでいる。
ぎゅうぎゅうと。
無理矢理に。
不自然な形の箱に
歪められて押し込められた
性行為に対する概念。
なにもキリスト教国家だけではない。
男女のまぐわいで人は
強大なエネルギーを循環させる。
だから箱に収めやすい
使いやすいコマとしての
従順なヒトを大量生産するには
性のエネルギーを封じ込めるのが
手っ取り早いのだ。
罪の意識を植えつけておけば
人は本来の力を発揮しない。
「結婚すればセックスしていいよ」
「罪ではないよ」
「子供も作っていいよ」
「単なる快楽のためはダメだよ」
こんな集合意識を延々と
継承しているんだよね、私達は。
権力を持つものは
どれだけの人数を相手にしても
有無を言わさずに堂々とふるまい
庶民はせいぜい
ふさわしい相手と子を作り
働き手を絶やさないようにせよ、と。
たとえ結婚相手が望むような
人物でなくても我慢しろ。
おまえたちは働き手を産み育てれば
それでいいのだから。
小さな家族という枠に収めて
どれくらいの稼ぎがあるのか
わかりやすくしておけば
管理しやすいから
ややこしいことは御法度。
たったひとりの相手と一生
添いとげることはこの上ない美徳。
それだけを信じてよそ見をするな。
そんなカラクリを
パッとみキレイな包装紙に
包み込んでアレコレ演出している
現代社会の結婚産業とその周辺。
いいと思いますよ。
いろいろわかっていて
それでもなお
愛する人との誓いの儀式を
仲間とわかちあいたいのならば。
それはそれで素敵なお祭り。
けれども。
「とにかく結婚すること」
が前提では
どこかにズレがでてくる。
セックスレスや浮気問題の
根っこはここにある。
システムが狂っている。
変な仕組みに
合わせようとするから
人が病み、おかしくなる。
「常識的な大人」
「社会に溶け込む人間」
だと証明するために
形だけを整えようと躍起になって
性行為の本質からどんどん
離れていく人が多すぎる。
心(自分)を封じて
神(自分)を見失い
信じるもの(自分)がわからなくなり
新しい(自分の)一歩が踏み出せず
真の(自分の)喜びを味わうことがない。
そんなニンゲンモドキを
造り上げるキーワードはsin。
さて今日も
芯を築くために
深く
清らかに
伸びやかに
慎ましく
針を操ります。
仕事へ行ってきます。
素敵な1日をお過ごしください。
Foto Yaegashi Luna