アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

そもそも幸運と不幸の基準って人それぞれなんだよね

ホロスコープと行動心理学を軸にした
エネルギーリーディングを
イタリアと日本でやっている。

どうにも違和感を感じることがある。

いい?わるい?

と聞かれる回数が多すぎる。
エネルギー状態の違いは
良し悪しの二択ではない。

昔ながらの占いなどに
記されている幸・不幸の尺度は
当然ながら人間の視点。

身体が丈夫で健康
家族仲が良い
友達に恵まれる
恋愛が上手くいく
受験や就職の希望が叶う
やりたいことが仕事になる
仕事が順風満帆
金銭に恵まれる
幸せな結婚をする
私生活が充実する
健康な子供を授かる
穏やかな老後を送る

「幸運」と呼ばれるのは
ざっくりあげるとこんな感じ。

とてもわかりやすく
誰の目からみても
幸せだと思える状態。

不幸・不運と呼ばれるのは

病気・怪我・事故
失敗・倒産・失業
離婚・流産・死産
離別・死別・障害

などなど。

確かに「よくない」現象に
見えるかもしれないけれども
そもそも私達は喜怒哀楽や
悲喜こもごもを味わいたくて
この地球に生まれた。

だからどのような経験も
貴重な財産になる。

肉体を持たない存在にとっては
喉から手がでるくらい
味わってみたい体験。

起きる事象そのものだけに
焦点をあてて2極的に
幸・不幸と判断する方法では
どうにもズレを感じてしまう。
ピンとこない。

自分の本名を使って
ネット上の姓名判断をやってみた。
漢字だろうがひらがなだろうが
どう書き換えても

「周りの環境に恵まれない」

という画数になってしまう。

確かにわかりやすい大成功へ
つながるようなサポーターが
身近にはいなかったし
励みになるライバルもいなかった。

娘の才能を伸ばすために
尽力してくれる親ではなかったけど
少なくとも邪魔はされなかった。

親元で暮らすのは窮屈だった。
だから早々に家を出て
そのまま戻らなかった。

日本での暮らしよりも
イタリアの空気が合うと感じたから
短期留学をきっかけに移住した。

なんだか違う、と感じたら
その場やそこにいる人間を
無理矢理変えようとせずに
自分が離れるという生き方をしてきた。

それを恵まれない環境と
感じてはいなかった。
全く。
むしろ恵まれていたと思う。

たまに悪役にもなる。
仕方がない。
他の誰かの理想像を演じる人生を
選択したくなかったから。

相手を傷つけたくないから
「別れない」
「言わない」
「やらない」
を繰り返していれば
人生の軸はズレていく。

自分が放った言葉や態度で
相手が泣いたり怒ったりするとき
その役をするタイミングなのだと
感知して決行する。

誰かに嫌われたり
人が離れていくのが
仕方のない場合がある。

自分を取り繕うための
偽善のスキルを奨める輩には
うんざりする。

嘘方便を並べて
かりそめの館で仮面舞踏会を
楽しみたいのなら
どうぞご自由に。
私は参加しない。

幸・不幸、幸運・不運の
ラベルを貼るのは本人であって
眼の前で起こる事象は本来
全てニュートラル。

どう捉えるかの個人差はある。
打たれ強さの差もある。

けれども選択するのは
最終的には本人次第。

私達は人間の肉体を
使っているから
極端な暑さ・寒さや
痛みや眠気、空腹感を
体感したくない。

孤独・喪失・焦燥・絶望などを
感じたくないと願う。

だから安心できる場所や人間関係
仕事・家庭を求めるし
信頼できる恋人やパートナーとの
出会いを渇望する。

離別や事故などの気配を感知すると
リーディング現場では
「大きな変化・変容」
伝えることが多い。

慣れ親しんだ環境や関係が
変わるときに運も変わる。

それを幸と呼ぶか
不幸と呼ぶかは本人次第。

エネルギーの翻訳者である
私の色眼鏡はなるべく除外する。

今日は今年の仕事納め。
素敵な年末年始をお過ごしください。


Foto Yaegashi Luna