アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

ふさわしい場に呼ばれる

呼ばれる神社によって
人生のテーマがわかるという
記事を見かけた。

それは神社だけでない。

もし居心地のよくない場に
呼ばれることが多いなら
そこで学ぶこと
やってみたいことがあるから。

ここで言う「やってみたいこと」は
現実的に苦手に感じる
分野だったりする。

その人によって
また同じ人でも時期によって
人生のテーマが変化する。
あたりまえのことだ。
人は成長するから。

もちろん道程もそれぞれ。

直線でまっすぐ進む。
ぐるぐるとまわり道をする。
ジグザグで険しい高低差がある。
分岐点や交差点が多い。

さらにどうやって移動するかも
各自バラバラでやり方は際限がない。

道なき道を切り開く。
誰かのかすかな足跡を追う。
歩きやすい道を選びつつ
時折寄り道する。
道に沿って休憩所を作る人もいる。

「ここは自分の居場所じゃない」

と感じてしまうならば
必ず呼ばれる他の場所がある。

実際に「場」を探す前に
ないがしろにしがちなのが
自分自身を俯瞰して観察する視点。

好き・嫌い
心地よい・悪い
得意・苦手

自分の感覚を世間の常識や
宗教・教えなどと切り離して
感知することが
なかなかできないという人が
ほんとうに多いと思う。

今いる場所の居心地はどう?
なにが心地よくて
なにに違和感を感じる?

この答えを出せるのは
自分自身だけ。

そのアンテナが鈍っていると
新しい居場所を探しても
結局は似たような事が起こる。

だいぶ朝晩の空気が涼しい季節。
今日は衣替えをします。

素敵な日曜日をお過ごしください。


Foto Yaegashi Luna