アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

感動的なシーンの舞台裏がみえる

AGT(アメリカズ・ゴット・タレント)
などのタレント発掘番組で
よく見られる感動シーン。

YouTube動画で私も楽しんでいる。
すぐにぼろぼろともらい泣きをする。
涙もろい質なのだ。

リアルショーだから
参加メンバー達の反応が
人間くさくてよい。

例えば癌治療中の家族や
貧困・いじめ・犯罪行為からの脱却。
生まれつきまたは事故による身体障害
といったわかりやすい背景が
感動的なストーリーを盛り上げる。

だけどね。

その「癌」がつくられていたり
治療という名目の商売が
あたりまえに横行していることは
きれいさっぱり包み隠されている。

いじめや犯罪が絶えない原因である
ストレス満載で歪んだ社会のシステム。
そのど真ん中に華やかで明るい
大舞台は設置されている。

先天的な障害児を生み出す
有害物質を放置したり
垂れ流しをていることは
美しいカーテンの向こう側。

確かに歌の上手い人が
すばらしい歌声を披露する場が
あることは好ましい。

ダンス・マジックといった
エンターテイメントが
繰り広げられる舞台は
その分野で活躍する人々には
欠かせない場所。

なのだけれども。

そのスポンサー達が
何をつくってどんなシステムで
群衆を動かそうとしているのか
カラクリに気づいてしまうと
手放しの感動だけではなくなる。

派手に飾られた演出のその背後や
華やかな舞台のその脇に
影がちらちらと見える。

見なければいいのかな?
見えなければいいのかな?
見えてしまったらどうすればいい?

参加している人々が
悪いわけでもないし
拍手と声援を送る観衆の
そのまなざしは純粋。

うがった見方をしているのは
ワタシだという自覚はある。
それはそれは痛いほどに。

純粋に感動できたらどれほど
わくわくできるだろう。
うらやましさが沸き上がる。

感動的な動画を楽しむ時は
シナリオのある映画と
同じように捉えている。

人生はリアルショーそのもの。
コツを掴めば脚本・演出・配役の
かなりの部分を自分で
自由に決めることができる。

他人を動かそうとするのではなく
自分が決めてできる限りのことを
やっているとサポートがくる。

この「やる」はDoではなくてBe。
「ある」「いる」感覚。
がむしゃらに動くのではない。
ただ淡々と決めたようにやる。
やらないと決めたらやらない。

誰かの脚本への友情出演を
好んでやっている人は
自分で決められる範囲を
かなり狭くしている。

「あなたはこうあるべき」

慣れてしまえばその方が
多少楽でもあるからね。
そして興奮や情熱の炎を
他人からおすそわけしてもらえる。

自分で決める必要がないので
文句を言う時間もたっぷり。
あら探しに没頭できる。

重箱の隅をつつく性格を
持っている私も時折
他人の脚本をのぞきみする。
他の人がやっている素敵な
演出方法を参考にできるから。

だけどチラリで充分。
参考程度に斜め読みしたら
あとは自分のストーリーに集中する。

あたたかい飲み物が
美味しく感じる季節です。

針仕事へ行ってきます。
楽しい1日をお過ごしください。


Foto Yaegashi Luna