息子達がまだ小学生の頃
近所の店の駐車場に
苗木が植えられた。
ひょろひょろとした
まだ根の張りが少ない木々は
その年の暑さにあっという間に
やられてしまいそうだった。
私達は夜に水をまいた。
近くの消化栓をひねり
大きなバケツを水で満たし
近所の数家族がほぼ毎晩
わっせわっせと水を運んだ。
誰が言い出しだのだろう。
私だったかもしれない。
記憶はおぼろげ。
結局その苗木達は
大地に根を伸ばすことなく
すべて枯れてしまった。
もし育っていたら
きっと駐車場に木陰を作り
真夏には重宝されていただろう。
ふと思う。
そういう実らなかった理想を
描きながら身体を動かした体験は
子供達にどのような財産を
もたらしたのだろうか?
おそらく木々が
「育つ・育たない」の結果は
子供達にとってどうでもいいこと。
近所の大人達と一緒に
わいわい言いながら
消化栓からほとばしる水しぶきの
勢いに感化されてはしゃぎ
重いバケツを数人で運んだ
実体感の手や身体の記憶。
それこそが宝。
木が一本も残らなかった
その駐車場の近くにある
建物は店の変遷が激しくて
空になることが多い。
そういう場所なのかもしれない。
か弱い命が育ちにくい。
新しい活動が根付きにくい。
くったりしていた
バジルに水をあげながら
そんなことを思った。
素敵な日曜日をお過ごしください。
20年前に描いた絵本のイラスト。
ボローニャのコンクールに参加した作品の一部。
描きかけのものが出てきたから完成させます🎶
Foto Yaegashi Luna