アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

コウモリを助けることができなかった

東京の郊外に住んでいた頃
アパートの前で
コウモリを拾った。

まだ幼くて弱っている。
少し迷ったけれど
近所の獣医さんのところへ
連れて行って診察してもらった。

かなり衰弱しているし
体も小さいので
たぶんできることは
なにもない。

うなずいて
小さな獣を手に包み
徒歩で帰宅した。

歩きながら
雀を助けることができなかった
ある日のことを思い出した。

当時つき合っていた人と
これから出かけるという
タイミングで見かけた
小さなスズメの雛。

どうせ助からないよ。
自然の摂理。
仕方ないことだよ。

彼は言った。

安全な巣から落ちた
小さな小鳥の運命。
確かにその人の言うとおり。

だけど。

できることはあった。
出かけることをやめて
拾って手を貸せば
生き延びたかもしれない。

あの後誰かが
助けたかもしれない。

仕方ないことだと
わかっていても
できることはやりたかった。

だんだんと
生気がなくなっていく
小さなコウモリを見守り
最後を見届けた。

結果だけ見れば
その小さな生き物は
なにをしてもしなくても
生き延びることは
できなかった。

イタリアでは何度か
小鳥の命を救った。

猫に襲われたり
巣から落ちた小さな命。
生き延びる個体は
生命力が違う。

ショックで呆然としている間
安全な場所を確保してあげる。
それだけで彼らは
勝手に正気を取り戻す。

ニンゲンも巣から落ちる。
安全な場所から
不意に落とされることがある。

どうかひとりでも多くの人が
正気を取り戻すあたたかい場所に
出会えますように。

コウモリを助けることが
できなかったときに
もやもやは残らなかった。

ダメもとでも
その時できることは
やったから。

家の扉の前に
横たわる小さな体を
無視することはできなかった。

所詮単なる自己満足。
かもしれない。
だけどそうするしか
自分を納得させることができない。

この世は自分と仲間で創り上げた
虚構のゲームのようなもの。
いろいろな経験をするために
肉体スーツを使って生きている。

コウモリや雀の視点に立てば
私は単なるサブキャラクター。
彼らだって経験するために
この地球にやってきている。

だから。
結果は気にしない。
その時にできることをやるだけ。
なるべく淡々と。

今年もあと3日。
年末年始は道路が空いていて
心地よく移動できます。
針仕事へ行ってきます。
みなさん素敵な1日を。

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Foto Yaegashi Luna