アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

なぜ瞳を閉じるのか

たとえアイコンひとつにも
その人の心理ははっきり現れる。
まっすぐ正面を見つめる写真や
イラストを私は使わない。

フェイスブックもインスタも
他の場所でもアイコンに
正面写真や瞳を見開いたものは
いっさい使っていない。
猫の写真以外は。

それには訳がある。
意識的にそうしている。

心の目が開いているから
凝視する必要がない限り
瞳をやや閉じがちにしている。
肉眼の視力もむちゃくちゃ良好。

「みえすぎる」というのは
心地よいことばかりではない。

今日から交際を始めるという
本来ならば心躍る瞬間に
いずれやってくる
別れの気配がみえたら
手放しで喜べない。

騙すわけではなくても
この人の側にいたら
きっといずれこうなる、と
予感が知らせる。

「しかたない」という感覚で
おつきあいとやらを始める。
これが踏むべきステップだと
半ば冷めた感じでのはじまり。

そんな男女関係が多かった。
もちろんそれなりの学びは
たくさんあったけれど。
「ときめいて楽しくてわくわく」
そういう「おつきあい」の
始まりはなかった。

日常生活でも瞳は全開にしない。
すれ違う人や物を
適度な距離から眺める。
さっと見る。凝視はしない。
その人や物が放つエネルギーを
感知しすぎると情報が多すぎるから。

観察眼として使うとき以外
なるべく物や人に焦点を合わせない。
そうでなくても勝手に
エネルギーは侵入してくる。
だからなるべく瞳を閉じている。

「言わなくちゃわからないよ」
という感覚がわからない。

「しっかり周りを見なさい」
という指摘がしっくりこない。

「行間を読めない」
というのが不思議だ。

人も物も文章も写真も
エネルギーがだだ漏れしている。

なんでわからないのかな?
そうか現代の地球人って
こういう感じなんだな、と
地球外生命体の視点になれば
腑に落ちることが多々ある。

異星人になりきって納得する。
地球に留学しに来たと思えばいい。

地球人のみなさん素敵な1日を。
異星人のみなさん瞳を保護しつつ
留学体験を楽しみましょう(笑)


Foto Yaegashi Luna