アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

ダイアローグ(対話)とモノローグ(独り言)

クリスマスの夜に完読した本に

こんな表現があった。

「ダイアローグ(対話)はみんな…

実際は長い長いモノローグ(独り言)なんだよ」

私が感じている世界観にしっくりくる。


俗にいわれる「ワンネス」の感覚を

誰かと会話しているときに私は感じる。

文字と音声の違いはあまりない。


自分に親しい感覚の人と話をしていると

自問自答に近いようなもの。

相手の言葉はまるでハイヤーセルフが

そのまま人の声でしゃべっているみたいだ。


少し感覚のズレた人の場合は

地球上の常識枠に収まろうとしていた

自分の声を聞いている感じがする。


エスプレッソコーヒーを

飲むために立ち寄る店の人との

軽い世間話はまるでジャズセッション。

お互い軽やかに即興演奏をする。


最近はよくみかける編集映像。

ひとりの演者が掛け合いをしたり

音楽を奏でたりハモったり。


私達は人生を通して

こんな風に長い長いモノローグを

周りの協力を得てやっている。


もし対話の相手が予想外のセリフを

放ったとするならば

それは自分自身に予想外の何かが

隠れている証になる。


何事も突き詰めていくと

対立や対極はありえない。

あった方が分類区分をしやすいから

この物理次元では整理整頓のために

頻繁に活用して応用している。


私が多重人格という武器を

掲げないで生きていられるのは

早々に内在する多面性を受け入れて

脳内会議を必要に応じてやっているから。

さらに環境や社会のエネルギー状態を

感知して行動できる持久力があるから。


対話にしろ独り言にしろ

楽しく言いたいことを言える方が

おもしろいよね。


クリスマスツリーに灯る

光のような会話を楽しみながら

生きていきたいな。


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Foto Yaegashi Luna