アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

日本での定義再考「スピリチュアル」そして依存しない生き方

スピリチュアルという言葉は

あやしさを伴うイメージが

日本ではまだ根強く定着している。

目に見えないモノに頼る。

科学的根拠のないモノゴトに金銭が動く。

だから詐欺まがいの世界。

そう信じる人が多いから。


瞑想に関してはやっと

マインドフルネスという言葉と概念が

認知されることで「怪しい宗教感」から

脱却したように観察される。


「スピリチュアル」という言葉は

そもそも精神性・霊性といった

他力本願ではない各個人の

肉体以外のエネルギー状態を示す意味が

語源に含まれている。


ところが日本語に取り込まれる過程で

様々な事件などにより

負の要素が色濃く強調されて

そのまま定着してしまった。


形があって触れられるものであっても

目に見えないものであっても

極度の依存状態を生み出すと

ヒトは病んでしまう。


自分自身以外の何かにエネルギーを

全て渡してしまうから病む。

コーヒー・タバコ・アルコール・砂糖

ギャンブル・買物・過食

どれもこれも依存性が高まり

自力で止めにくくなる。


ヒト・モノ・コト・シコウ・シソウ

対象はなんであっても

いつでもスパッと手放せる状態なら

依存関係は生じない。


ただし人間という生命体は

肉体の器を使って生きている限り

いろいろな選択をしながら

何かを信じて活動する。


これまではわかりやすい模範解答が

誰かから提示されていた時代だった。

現在は過渡期。

無限にある選択肢から選ぶのは自分自身。

その覚悟がないと生きにくくなる。


何かを選ぶ時に私がまずやるのは

しっくり来ないモノを選択肢から外す。

進学・就職・結婚・離婚といった

わかりやすい人生の転換期でも

日々の買物や身支度でも尺度は同じ。

自分のエネルギー状態に合わないものに

フォーカスを当てない。


その繰り返しが自分のスピリットを

少しづつ磨きあげる行為そのもの。

外付けの定義に惑わされず

スピリチュアル(精神)と

フィジカル(肉体)をバランスよく保つ。

それが人生の課題。

他人にどう見られるかは最終目標ではない。


鳥の声が聞こえる早朝。

素敵な日曜日をお過ごしください。


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Foto Yaegashi Luna