アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

約束を守ることは美徳?前言撤回はいけないこと?

肉体を持つ人間は
その姿の変化に
ブレーキをかけることを願いつつ
永遠に続くなにかを求める。

年老いてシワや白髪が増えても
ずっと愛してくれる人。
なにがあっても続く愛情や友情。
いつでも見守ってくれる家族や仲間。

それが「ある」と感じるとき
幸福感を実感するけれど
「ない」と思うと失望・絶望する。

恋人やパートナー
家族や動植物。
愛情を注いだら同じ分量の
それを返してくれる相手が
側にいること・あることが
精神のバランス維持を助けてくれる。

その流れが社会活動にもある。
資材や設計にお金と時間をかけて
ありとあらゆる工夫を凝らし
なるべく長期間使える物や
場所を作り出して安心感を得る。

そこに健全さがあればいい。
でも、しばしば起こることがある。

約束したから
誓ったから
始めたから

「辞める」「止める」ことが
できずに「病める」人になる。

身体や心に歪みが出るのならば
「やめる」べきなにかが
必ずあるはずなのに。

「約束を破ったらいけない」
「前言撤回は男らしくない」
「すぐに投げ出すのは忍耐力の欠如」

そんな教えに従って
「悪いのは自分だ」と
自己肯定感をどんどん下げていく。

時と場合によって
約束は破っていいし
前言撤回して構わない。

大きな事業や都市開発も然り。

古い時代に設計された
大掛かりな開発事業を
途中で止めたり引き返す決断を
できない責任者がうじゃうじゃいる。

時と金を注ぎ込んできたから
今更後戻りできない。
利権と組織が絡まり
身動きが取れないから
無駄でも無理にでも続ける。

資本主義社会のシステムや
封建的な家族制度に
がっつり取り込まれた人間は
私生活でも同じことをやる。

大金をはたいて結婚したのだから
家族の歴史に汚点がつくから
せっかく仲良くなったのだから

だから病んでもやめない。

健全な関係性ならば
自然に笑顔がこぼれるし
身体も心も軽やかなはず。

YouTubeで活動している
田中敦彦さんが顔出しを止める
「前言撤回」をした。
試しにアバターを使ったが
彼らしさが出ないからやめた。

とても健全なやり方だと思う。
それでいいのだ。

やってみる。
試してみる。

しっくりこない。
ピンとこない。
合わない。

ならばやめる。
それがとても自然なこと。

穏やかな鳥の声が聴こえる朝です。
本日の仕事は鞄作りと
提出書類の作成。

素敵な1日をお過ごしください。

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Foto Yaegashi Luna