アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

天井歩きと天井面に書かれた言葉、そして福笑い

私が通っていた高校では

「天井歩き」という伝統が継承されていた。

新入生の教室の脇の廊下が見える天窓に

突如、天井を歩く足が現れる。


想像できるだろうから

からくりの説明は省略する。


今朝起きがけにはっきりとした

ヴィジョンをみた。


寝室兼アトリエにある

白いボックス型の家具の天井面に

言葉がたくさん書いてある。


全部読み取れるほど

近い距離にはいなかったし

大事なのはメッセージの詳細を

一字一句理解することではない。

そう感じた。


私にとって閃きとは

今朝のヴィジョンのようなもの。

あれ?こんなところに

何か書いてある、という気付き。


毎日使っている部屋の

いつも視界に入ってくる家具。

いつもとは違う角度から見れば

不思議な顔をみせる。


例えばスマホで撮った写真。

回転させてトリミングして

明度や彩度を調節して使う。


逆さまだったり半回転してると

見ていて気持ち悪いし

何を撮りたかったのかわからない。


だから視点をかえて情報を受け取ったら

私自身が心地よい形に整える。

それが我流の閃きの使い方。


天井を歩く。

小さな頃からよく

ベッドに寝たまま

天井と床がひっくり返ったとき

どうやってそこを歩くか

想像して楽しんでいた。


凸凹のある天井のホテルや

親戚・友達の家で寝転がると

さらにわくわくする場所になる。


あそこに座って休めるな。

斜めの場所は滑って遊べる。

ぶら下がってるランプは花みたい。


いま世の中は天と地を

ひっくり返したような騒ぎの最中。

逆さまの写真を目にしたときのように

気持ちが悪くて訳がわからないと

感じている人がたくさんいる。


私達人間は「慣れたもの」に

安心感を覚える生き物。


おそらくひとりひとりが

福笑いのように目隠ししながら

手探りで「ちゃんとした顔」を

作ろうともがいている。


目隠しを取ったときに

「こんな顔作ってたんだ!」と

笑える人が増えればいいな。

目を塞いでいる布はいつだって

自分の手で取れるから。



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Foto Yaegashi Luna