アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

ダサイ

数日前の起きがけに
降りてきたことば。

怠惰の惰に才能の才
とかいて惰才(ださい)。
または堕落の堕に変えて堕才。

持っている才能を
使わないのはダサイ。

才能というとなぜだか
「飛び抜けて歌が上手い」
「運動能力が抜群」
という感じの
目立つものばかりを
想像する人が多い。

でも違う。

細かい差異に気づく。
いろいろな意見を聞く。
こだわりがある。
淡々と繰り返すことが好き。
家事育児が楽しい。

すべて才能のひとつ。

世の中で脚光を浴びにくい
性質や特性も才能なのだけれど
その自覚をしにくい。

おそらく日本人に多い
無自覚な才能の持ち主は
感情の起伏が緩やかで
こつこつと日常生活を
送ることができる人々。

あたりまえのことを
あたりまえにやり続ける。
そこに派手な要素もないし
拍手されることもない。

だから才能だと思わない。
だけどそれができない人も
たくさん存在している。

それすごいことなんですよ。
誰でもできることではないんです。
そう指摘されると
不思議そうな顔をする。

え?普通ですよね?
あたりまえじゃないですか?
そんな反応をする。

自分が生まれつき持っている
才能は自覚しにくい。
あたりまえだと思っているから。

私の才能はひとり上手。
自己完結が大得意。
観客はいらない。

もうすぐ満月。
不要なモノを手放す時期。
ダサイ生き方とさようなら。
自分の才能を活用して
暮らしていきます。


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Foto Yaegashi Luna