アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

消失点の数と場所

遠近法に使われる消失点。

平面上に立体を描くときに使われる

基準となる点のこと。


この消失点の数と場所は

どんな方法で描くかによって異なる。


ひとりの人間がどこに基準を置いて

どんな風に自分の世界を描くか

それに通じるな、と思った。


目の前にある紙の上に消失点を

ひとつだけ置くと

世界はどんどん小さく遠くなり

やがては点になる。


自分以外の人、物、思想などを

たったひとつだけ盲信するとこうなる。

やがてはその基点に吸い込まれて

自分自身が消えてしまう。


目の前にある紙の中ではなく

絵を描く自分側に消失点を定めると

世界は永遠に広がる。


自分の覚悟を基準に生きる人の世界は

ずっと拡大していくので

可能性もどんどん広がる。


年齢制限や社会的拘束を

無自覚のうちに取り入れて

人生の広がりの機会の扉を閉じて

やがては小さな点のように消える。

それが怖くてたまらない人々。

本当にたくさんいるんだな、と

事あるごとに目を見開く。


基点を変えるだけで世界が一変するのに。

たいていは変化を恐れて

見慣れた世界にしがみつく。


今現在、目に映る世界だけを

判断基準にしている人は

絶望感を抱きやすい。

これまでの華やかで自由な世界は

いったいどこへ消えてしまったのだろう、と。


これ程までのコントラストを

体験しないと視点を変えられない人が

山程いたから、現在の世界がある。


集団無意識がコロナウイルスを使って

判断基準を見直せ!と世界を動かした。


ウイルスを運んだ人を責めたり

国の政治力ばかりを批判する前に

自分自身としっかり向き合えば

世界はあっという間に様相を変える。


溜め込んだストレスを

身近な献身者にぶつけたりするのは

まさしく精神的な盲目患者の行い。


感染の恐怖を感じつつ働く

スーパーの店員や医療従事者を

責めたり差蔑視するのは

人間愛の真逆の場所にいる人の行為。


その非人道的な言動をする人物でさえ

実は「こんなことはすべきではない」という

反面教師をやってくれている貴重な人材。


だから実際に目の前にそういう人が

いないのならばわざわざ探し出して

糾弾しない。そこにエネルギーは注がない。


私は自分の中心点を基準にするけれど

周囲の人々のもつ基点も尊重する。

そうすれば調和の取れた世界を

みんなで描けると心から信じている。



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Foto Yaegashi Luna