アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

大好きすぎて絶好の機会を逃した話

やってしまった、と
自分の言動を悔いたことが
過ぎ去った日々には何度もある。
すべて糧になっている。

だけどその瞬間の
「あ、やっちまった」感覚は
印象に残っている。

会話や人間関係が苦手
という人達は
そんな経験を繰り返して
抜け出せないんだろう。

「大好きだった男の子と
 やっと話ができるチャンスに
 トイレで化粧直しをしていたら
 いつの間にか居なくなっていた」

「お気に入りの女の子が
 三角関係に悩んでいそうな
 そんな言葉を放ったときに
 個人的な相談話ができそうで
 嬉しすぎて過大反応しすぎた」

「はじめてのデートに
 やっとこぎつけたのに
 彼の嫌いそうな指摘をしていた
 店員の言葉をそのまま伝えて
 彼のムカつき感を引き出した」

あ、やっちゃった。

と瞬時にわかる。
このまますすんでも
上手くいかない、と
感知してしまう。

好きすぎて失いたくなくて
無理矢理掴み取ろうとして
肩に力がはいって
その時の自分以上のなにかを
頑張って見せようとして
自爆してしまうのだ。

自然体でのほほんとしている
ふんわりとした雰囲気の
友達が羨ましかった。

周りのことはお構いなしに
ねぇねぇみてみて!と
はしゃげる素直さが欲しかった。

ないものねだりを
繰り返していた頃の話。

絶対に失いたくない!と
頑張りすぎるから上手くいかない。
つくりあげた自分の外面だけを
キレイに見せたって長くは続かない。

いい意味でなにもかも
どうでも良くなったら
お気に入りの人達との
距離が勝手に近くなっていく。

本質や本音を場所も選ばすに
すべてぶちまけることは
必要ではなくて。

自分をそのまま出せる
場所と時間をちゃんと
私にプレゼントしたら
周辺から不快感を漂わせる人間が
どんどん居なくなった。

波長が合わない人や
ハーモニーを奏でにくい人が
不思議なくらい消えていく。

どう思われるか、は
自分でコントロールできないから
いい意味でどうでもいい。
すべての人に好かれる必要はない。

わざと嫌われるような
言動をすることはないけれど
好かれようと媚びを売ることは
逆効果になりやすい。

ニセモノの愛想や笑顔を振りまいて
築く人間関係は脆いハリボテ。

無理は続かない。
続けると病む。
心や身体が萎んでいく。

最近イタリア語の勉強も兼ねて
表紙買いした本を読んで
思い出した昔々の感覚。

こじらせ女のジョコンダさん
懐かしい過去の場面を
再現フィルムのように
見せてくれてありがとう。

おはようございます。
白湯飲んでからストレッチ。
それから読書。
最近の朝の習慣です。

素敵な土曜日をお過ごしください。


Foto Yaegashi Luna