アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

空中ブランコの受け手の姿

先日の起きがけに降りてきた言葉は

「空中ブランコ」だった。

これまで飛び移ったブランコのことが

走馬灯のようにみえる。


わかりやすい事柄で言えば

転職・開業・離婚・留学・移住などなど。


人生の舵の方向を切り替えるとき

いつもきっかけは気配として訪れる。

たいていは日常生活が穏やかで

凪のような日々にちらちらと風が吹く。


「なにもかもうまくいかないから

全てを変えてみよう」

というパターンは私の場合は皆無。

退屈で刺激が欲しいというケースもない。


全てが上手くいい感じに流れているときに

新しい気配にふと気づく。


「これいい!」「やってみたい!」

「大好き!」「おもしろい!」

そんな風に感じてストックしていた

わくわくポイントのなかで

すぐにできなかった事柄を

実行できるタイミングが訪れるとき

空気感が変わるのだ。


奥田英朗さんの「空中ブランコ」という

小説が手元にあったことを思い出したので

数日前読み直してみた。


サーカス団員のブランコの受け手と

飛び移る側の呼吸が合わないと

どんなに訓練をしていても落下する。


人生の方向を大きく変えるとき

多くの人が躊躇する原因は

受け手の姿がはっきりしないから。

または信頼しきれないから。


飛び移った自分をしっかり受け止めてくれるのか。

それともタイミングが合わなくて

どこかへ落ちてしまうのか。

わからないから不安になる。


びくびくしながら飛び移ると

腰がひけてしまうので

受け手がベストタイミングで迎えに来ていても

実は飛び移る側の姿勢が原因となって

別のブランコへ移動できない。


人生の空中ブランコの場合は

受け手の姿が予め見えない事が多い。

いるかいないかわからない誰か

あるかないかわからない何かを

無条件で100%信頼して

乗っているブランコから手を放すのは

とても勇気がいる決断になる。


少なくともその時にしがみついている

ブランコを放さなければ

落下する事はなさそうだから。


そうして振り幅が小さくなるブランコに

しがみついて一生を終える人がたくさんいる。

良し悪しの問題ではないから

自覚して選んでやっているなら構わない。


動きのないブランコにじっと座って

ポンポン動き回る人を観察することが

至極の幸せならばそれでいい。


もし少しでも別のブランコへ

飛び移ってみたいと感じているなら

人はいつだって飛べる。

年齢も国も収入も資格も関係ない。


ウルトラC級の連続技をやっている人の

真似をすることはない。

まずはちょっと手を伸ばせば届く

隣のブランコへ移動してみる。


それを何度もやっているうちに

いつの間にか憧れの技もできるようになる。

コツは「楽しむことを繰り返す」

それに尽きる。


空中ブランコの受け手は

100%信頼することができれば

必ずがっしりと捕まえてくれる。


姿がみえないから

先がみえないから

どうなるだろう?という感覚は

あってあたりまえ。


何度も飛んでみた経験から

確信をもって大丈夫だよ、と言える。

いつだってなんとかなる。


制限をかけているのは自分自身。

そのことを今この瞬間にも

私自身に再認識させて

ぽーんっとまた飛んでみる。



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Foto Yaegashi Luna