アレコレ楽書きessay

「イタリア楽描きessay」のサブブログ

わからないという残虐性

4〜5年前に家猫のスカイが
行方不明になった。
アパートの3階暮らしで
普段は外には出ない。

どうやらテラスから落ちて
地上階の工事現場のどこかに
身を潜めていた様子。

見つけたのは長男で
その時私は外出していた。

スカイの白い毛が
すごく汚れているから
シャワーで洗おうとしてるけど
暴れるから上手く洗えない。

という電話を受けて
すぐに帰宅した。

バスルームから
2人の息子達の声とスカイの
暴れる気配が聞き取れる。
逃げるなよ、などと
言いながらはしゃいでる。

後は私がやるから任せて、と
息子達をバスルームから追い出した。

工事現場の素材が
ねっとりと身体中に付着。
お湯でもとれない何か。
全身が薄汚れている。

テラスから落ちた後に
自分がどこにいるのか
わからない不安と
大嫌いな水をじゃあじゃあと
かけられた恐怖で
スカイの息づかいは荒かった。

まずは呼吸を整えさせて
もう大丈夫だよ、と
教えてあげないといけない
極限状態だった。
だからただ抱きしめた。

汚れなんてなんとかなる。
家に帰って来たんだよ。
ここはあたたかい場所だよ。
そう伝えるために
胸に抱いて呼吸が整うのを待った。

ゼイゼイひゅうひゅうしていた
息づかいがだんだんと収まる。
激しく打っていた心音のリズムが
少しずつ整ってくる。

それから全身をタオルで拭き
汚れた毛を少しずつハサミで切った。
時々撫でながら。

長い時間をかけて
汚れた毛をすべて切り落とした。
スカイの美しい毛並みは
ギザギザに切り取られたけれども
毛はまた伸びる。

息子達は普段スカイを
いじめたりしない。
遊んでじゃれることはあっても
残酷なことはやらない。

だけど。

スカイがいつになく怯えて
暴れる姿がおもしろかったのだろう。
家猫が突然知らない場所に
落ちてしまった恐怖感を
想像することができない。

わからないから笑える。
これが人間の残虐性。

相手の恐怖を感知できないと
その反応や状態を
普段と違ってオモシロイ、と
感じてしまうのだ。

毛並みがバラバラになった姿を見て
元ダンナは「ブサイクだな」
「見ていられない」と言った。

彼も冷たい人じゃない。
普段は他人を見かけでとやかく
判断したりはしない。

だけど人はこうやって
何気なく残虐性を出す。
そういう生き物だ。

普段と違う状況を刺激として
楽しんだりする。
以前の姿と比較して酷評を放つ。

猫はすごい。
そんなことを根に持たない。

だけど大変な状況のときに
ただ抱きしめてぬくもりを伝えた
私にいちばん懐いている。

離れて暮らしている今でも。
そこはちゃんとわかっている。

針仕事へ行ってきます。
素敵な1日をお過ごしください。


Foto Yaegashi Luna